入れるか入れないか迷ってたけど入れたら困るからという理由で練習しといたExpect us時オメガバース露普ちゃん





顔を合わせてはいけないと思っていた。けして、全てが終わるまで。傍にいる事も、電話も、メールすら。この世の中に、完全な遮断なんてない。イヴァンがそう断言したから。
たかだか数ヶ月、次の発情期までには終わらせる
アーサーの言葉を信じ、何度も唇を合わせた後離した手。
大丈夫。君は僕の、一番優秀な生徒だった。胸を張って、僕が教えた事は無駄じゃない。
胸を張って、言われたから。大丈夫だと思った、顔を見なければ大丈夫。ギルベルトとイヴァンには、番という目に見えない繋がりしかなくて、その繋がりは互いに理解していればいい事。誰に誇張するでもなく、知られなくたって、それだけで進めると思っていた。
顔を見なければ。
逆に言えば。顔を見てしまうと、無理だ。





「イヴァ…イヴァン、イヴァン！！」
カランカランと鳴ったはずのドアベルも、立ち上がった拍子に倒れてしまった椅子の鳴らす音も気付かなかった。ギルベルトはただ、入り口に立ち苦笑を浮かべるイヴァンを、金網の向こうから見つめていた。
声だけは、堪えられなかった声だけは張り上げて、金網にしがみ付いて。数歩移動すれば、カウンターの後ろからはすぐ出られるのに。そんな事を思いつきもしなかった、目の前にイヴァンがいるというだけで、まともな思考は全てギルベルトの中から零れ落ちていった。馬鹿みたいに名前を呼んで、金網をきつく掴んで。それだけでもう、じんわりと目が熱い。イヴァンを目の前にすると、ギルベルトの涙腺は簡単に崩壊する。
「ギルベルト・バイルシュミット」
逸る気持ちのままに声を張り上げたギルベルトに、向けて発せられたイヴァンの声は落ち着いていて。それでも粉砂糖をまぶしたように甘い、甘くて優しい。
「会いたかった」
本当は、会うつもりなどなかったのだろう。全てが終わるまで、そう言って離した手に何も終わっていない今、もう一度触れるつもりはなかっただろう。
それでもなお、きっと…イヴァンがどうしてもギルベルトに会いたいと思う何かがあって。そのために決意を覆し、こうやって会いに来たのだろう。
そんな簡単な事すら、その時のギルベルトは気付く事ができなかった。
するすると近付いてきたイヴァンが、金網越し、指に触れ。その指先に唇を落とす、それだけで嗚咽が漏れる。少しだけ割れた爪が手の甲を掻く、太くてかさついたイヴァンの指。同じように唇を寄せ、その感触を確かめる。
「泣き虫、馬鹿みたい」
からかうような声で、また勝手に涙が流れている事に気がついて。それでもギルベルトは睨む事も出来ずに、小さく笑った。
「お前のせいだ」
それ以外、考えられない。全部イヴァンのせい。





「ドラマチックな触れ合い中申し訳ねえけど、こっから出られるぞ」
そのときかけられた声は、呆れているようだった。何時の間に降りてきたのか、アーサーが呆れ顔でカウンター横の扉をキィキィ鳴らす。施錠も外されている、そこから出ればイヴァンにもっと触れられる。
イヴァンの近くに
「この子を出さないで、今出したら君達の事なんて無視して連れて帰っちゃうから」
我慢できなくなるから
金網から指を抜きかけたギルベルトは、思いの外強く重なった指と、イヴァンの警告で我に返った。それはまずい、言いながら、アーサーが扉を塞ぐ。カチャンと響いた音は、ギルベルトの耳に痛々しく聞こえた。
「イヴァン…」
縋るよう、視線を上げたギルベルトの鼻先に、人差し指がついと伸び。こいこいと促され、それに頬を擦り付ける。指一本で撫でられた頬が、ほんのり温かい。
なんで我慢しなければならないのか。何故番と共にいてはいけないのか。本末転倒な我侭を必死で飲み込んで、金網に額を擦り付けるギルベルトのそれ、太い針金一本分向こう側のイヴァンもまた、額を擦り付けて。
「何があっても、君がまた空っぽになりかけても」
その声はあまりにも小さくて、顔を寄せたギルベルトにしか聞こえなかっただろう。出入り口に立つアーサーや、階段付近にいるらしい菊には聞こえない。それくらい小さい声。
「忘れないで。僕は絶対に、君をひとりにはしない」
その言葉がどれほど重い物なのか、その時ギルベルトはわからなかった。イヴァンもまた、漠然とした憶測しかなかっただろう。
それがどれだけ重要な言葉だったか知ったとき、もうギルベルトは涙を流さなかった。流せなかった。涙を流すほどの感情を、全て塞いでしまったから。けれど今はまだ、頷いて、針金一本の距離でイヴァンの目を覗きこみ。
覚えていようと思った、イヴァンが自身を見るとき、どれだけその青紫が美しいかを。薄暗い雑貨屋の中ですら、キラキラと光って甘く、柔らかくギルベルトを見つめたかを。
これだけは、覚えていようと思った。